第2章 アンサング・ヒーロー
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容疑者xが真犯人であるためには?
ある病原体がその病気の原因であることを立証するための条件
まず第一にそれが必ず、患者の病巣あるいは体液などに検出されるということ
患者のサンプルほとんどで発見され、一方で健康な人からは見つからないという厳然たる事実があっても、この時点で原因菌であるとは言えない
微生物の存在と病気の発症とはあくまで相関関係にあるにすぎない
因果関係は「介入」実験を行ったとき初めて立ち現れる 原因と思われる状況を人為的に作り出し、予想される結果が起こるかどうかを試す
野口英世もおそらくこのような介入実験を繰り返したに違いない あるケースでは病巣から取り出したサンプルを顕微鏡で調べると、そこに特殊な微生物の存在を認め、その微生物を健康な動物に接種すると人為的に病気を起こすことに成功した
しかし、病原体の証明ではなかった
見えないからといって、その微生物以外に何者もいないかどうかはわからない
ウイルスの発見
煙草の葉に黒色のモザイク状斑点を作り、商品作物としてのタバコを損なってしまう病気
モザイク状に侵された病気の葉をすりつぶして、これを健康な葉に塗りつけると、やがてその葉にもモザイク病が発生する
病気を伝達できる以上、何らかの病原体が存在してしかるべきだが、顕微鏡で調べても特別な微生物を認めることはできなかった
素焼きの陶板で微生物を含む水を"濾過"することができる
網目状に微小な穴が入り組んだ形で無数にあいている
水をたらすとこの穴を浸潤し、やがて反対側からにじみ出る
大腸菌や赤痢菌のような単細胞微生物はどんなに小さくてもそのサイズは直系1~数マイクロメートルで、素焼きの陶板の穴はこの1/5~1/10以下で、しかも穴は入り組んで走行しているので、単細胞生物がそこを通過することは不可能 お腹を壊すような水でも陶板を通せばそれを浄化することができることは、経験的に知られていた事実
現在、発展途上国の衛生向上のために配布されている濾過ボトルもこれと同じ原理が使われている
ポアサイズ、0.2マイクロメートル程度のフィルターが装着される イワノフスキーは陶板を使って、タバコモザイク病にかかった病葉の抽出液を濾過してみた
陶板の濾過液にもタバコモザイク病を引き起こす力が十分に残っていた
単細胞生物の10分の1以下
光学顕微鏡の解像度では到底、追いつかない小ささ
イワノフスキーもすぐには実験結果を信じることができなかった
自分の予想とは異なった実験結果を得た場合、科学者は普通、実験手続きに何か問題があったと考える
イワノフスキーも最初はそう考えた
割れ目や大きな穴があいていて、反対側に達したのかもしれない
そのような"合理的な疑い"があるのなら、科学者は対照実験を行うべき 同じ陶板を使って、あらかじめサイズの判明している微生物、たとえば直径1マイクロメートルの大腸菌を濾過してみて、これが陶板を通過しえないかどうかを調べる
大腸菌を通過させないのなら、タバコモザイク病の病原体は、大腸菌よりもずっと小さい何者か
イワノフスキーはそれがまったく新しい病原体であるとは考えず、小さな細菌の存在を想定した しかし、それからしばらくして、オランダのマルティヌス・ベイエリンクはタバコモザイク病の研究を詳細に再検討して、濾過性の病原体としての"生気をもった感染性の液体"が存在すると主張した これが細菌とは異なる微小な感染粒子の存在を初めて提言したもの、つまりウイルスの発見だった こうなると最初の「発見者」イワノフスキーも黙ってはおらず、猛然とプライオリティを主張し、今日ではタバコモザイクウイルスの最初の発見者はイワノフスキーということになっている ウイルスは生物か?
ウイルスは単細胞生物よりもずっと小さい
ウイルスを「見る」ことができるようになったのは、電子顕微鏡が開発された1930年代以降のこと まだ世界はウイルスの存在を知らなかった
彼が生涯をかけて追った黄熱病も、狂犬病も、その病原体はウイルスによるものだった
ウイルスを初めて電子顕微鏡下で捉えた科学者たちは不思議な感慨に包まれたに違いない
ウイルスはこれまで彼らが知っていたどのような病原体とも異なって、非常に整った風貌をしていた
科学者は病原体に限らず、細胞一般をウエットで柔らかな、大まかな形はあれど、それぞれ微妙に異なる、脆弱な球体と捉えている
ところが、ウイルスは、優れて幾何学的な美しさを持っていた
そして同じ種類のウイルスはまったく同じ形をしていた
大小や個性といった偏差がない
それはウイルスが生物ではなく限りなく物質に近い存在だったから
栄養摂取も呼吸も、二酸化炭素や老廃物を出すこともしない
ウイルスを混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、「結晶化」することができる これはウエットで不定形の細胞ではまったく考えられないこと
結晶は同じ構造を持つ単位が規則正しく充填されて初めて生成する この点でもウイルスは鉱物に似たまぎれもない物質
ウイルスの幾何学性は、タンパク質が規則正しく配置された甲殻に由来している
しかし、ウイルスをして単なる物質から一線を隠している唯一の、そして最大の特性は、自己複製能力を持つこと
まずそのメカニカルな粒子を宿主となる細胞の表面に付着させる
接着点から内部に向かって自身のDNAを注入する
宿主細胞はDNAを複製し、DNA情報をもとにウイルスの部材を作り出す
細胞内でそれらが再構成されて次々とウイルスが生産される
新たに作り出されたウイルスはまもなく細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出す ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである
もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体
しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェに過ぎず、そこには生命の律動はない
ウイルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的で、未だに決着していないといってもよい
それは生命とは何かを定義する論争でもあるから
結論を端的に言えば、私はウイルスを生物であるとは定義しない
生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考える
生命の律動が換気するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義付ける方法を探る
アンサング・ヒーロー
an unsung hero「縁の下の力持ち」
言うまでもなく彼らは称賛をほしいままにしたsung heroesである
プロローグでも述べたように二重らせんが重大な意味を持っていたのは、その構造が美しいだけでなく、機能をその構造に内包していたから
この対構造が直ちに自己複製機構を示唆することに私たちは気がついてたわけではないと、ワトソンとクリックは論文の最後にさり気なく述べていた
二重らせんがとけるとちょうどポジとネガの関係となる
ポジを元に新しいネガが造られ、元のネガから新しいポジが造られると、そこには二組の新しいDNA二重らせんが誕生する
螺旋状のフィルムに書き込まれている暗号がとりもなおさず遺伝情報 これが生命の自己複製システムであり、新たな生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている
若きワトソンとクリックが、DNAの構造を解きさえすれば一躍有名になれると思ったのは、DNAこそが遺伝情報を運ぶ最重要情報分子だと、あらかじめ知っていたから
オズワルド・エイブリー
彼のロックフェラー時代は、野口英世がここにいた時期と完全に重なる エイブリーの研究が佳境に入ったのは、野口がこの世を去ってからの1930年代のことだった
遺伝子の本体を求めて
肺炎は今日、抗生物質によって簡単に治療することができるが、エイブリーがロックフェラー研究所に勤務し始めた頃は、この病気にかかって多数の人が死んでいた これはウイルスではなく、通常の光学顕微鏡でも観察することのできる単細胞微生物
この菌にはいくつかのタイプがあった
強い病原性を持つS型と、病原性をもたないR型
菌の性質は遺伝する
エイブリーの先達としてイギリスの研究者グリフィスがいた グリフィスは奇妙なことに気がついていた
病原性のあるS型の菌を加熱によって殺し、これを実験動物に注射しても肺炎は起こらない
また病原性のないR型の菌をそのまま実験動物に注射しても肺炎は起こらない
しかし、死んでいるS型菌と生きているR型菌を混ぜて実験動物に注射すると、なんと肺炎が起こり、動物の体内からは生きているS型菌が発見された S型菌はたとえ死んでいても、何らかの作用をもたらしR型菌をS型菌に変える能力を持つ、ということ
グリフィスはこの作用を解明することはできなかった
菌の性質を変える物質、それはとりもなおさず「遺伝子」のこと 彼は遺伝子の科学的本体を見極めるという生物学史上最も重要な課題にチャレンジを開始した
慎重で控えめなエイブリーはこの物質を遺伝子とは呼ばず、形質転換物質と呼んでいた 当時、すでに遺伝子の存在とその化学的実体について多くの予測がなされていた
したがって、きわめて複雑な高分子構造をしているはずである
だから遺伝子は特殊なタンパク質に違いない
エイブリーはS型菌から様々な物質を取り出し、どれがR型菌をS型菌に変化させるかしらみつぶしに検討していった
その結果、残った候補は、S型菌体に含まれていた酸性の物質、核酸、すなわちDNA 核酸は高分子ではあるが、たった4つの要素だけからなっているある意味で単純な物質だった
だからそこに複雑な情報が含まれているなどとは誰も考えていなかった
今日の私たちは、たとえ0と1という2つの数字だけからでも、複雑な情報が記述でき、むしろその方がコンピュータを高速で動かすには好都合だということを知っている
しかし、当時、情報のコード化についてそのように考えられる研究者は、少なくとも生物学者にはいなかった
エイブリーも自分の実験結果に半信半疑であった
何度も実験を繰り返し、いろいろな角度から再検討を行ったが、結果は遺伝子の本体はDNAであることを示していた